監視かケアか


 今夜はやけに静かだが、祈りの有無というブログと沖田総司のブログを読んだ。GPSによる位置確認の是非に関することだが、基本的にGPSには限界がある。首都高の地下部分でカーナビが使えるだろうか。ビルの谷間や地下街でGPSが使えるだろうか。それだけではない。腕に付けられたGPSとのことだが、これを無効にする手段はいくらでもある。欧米のシステムはGPSと携帯電話のアンテナからの情報を連結させているのだろうと思うが、これでも位置を特定できなくすることは不可能なことではない。試しに、カーナビに付いているGPSアンテナに空き缶をかぶせてみるといい。これでカーナビが正常に動作するかどうか。

 欧米では常習性犯罪者の足首にこれを付けているらしいが、都会地だけでなく、農村部でもこれが機能するにはかなり通信網を整備しなければならないし、警察がしっかりとこれに対応できていなければならないだろう。沖田がいうように「少なくとも」6人の被害者がいる性的虐待を行った人物に対して、日本聖公会京都教区はあまりにも無知な対応をしていると言わざるを得ない。彼がどこに住んでいるのか、何をしているのかを知っているのは、日本聖公会京都教区でもごく一部だと言われているが、何故なのかがよく判らない。何も監視しろと言うのではない。そうではなく、再犯が起きないように、皆で祈り、声を掛けることをしなければならないのではないのか。あの司祭は、少なくとも4人に対する性的虐待行為を認め、それに対して謝罪文を書いたという。被害者は一人ではないし、京都教区内には今でも、「被害者」の妄想によるもので、その司祭こそが被害者だと考えている人々がいるという。しかし、あの昨年の教区会で配布された主教文書や常置委員会特別報告を読んでいないのだろうか。日本聖公会京都教区はこうしたことを何故信徒に説明しないのか。

 GPSを使った位置測定システムで監視することなど、パーフェクトなものでないどころか、抜け道はいくらでも考えられる。それよりも大事なのは、家族によるケア、あるいは周囲の仲間によるケアが、大事なようにも思える。そのためには、今どこで何をしているのかが多くの人々に知られていなければならない。ただし、ここにも問題がないわけではない。日本人は、異質な者を共同体から排除してきた歴史を持っているし、日本聖公会などはそれが顕著に現れている。ここ10年間の間に洗礼を受けていながら、音信不通の状態になっている信徒が何人いるだろうか。そして、そうなってしまった原因が分かっていながら、それを取り除いて関係を修復しようとする動きが少ないのは何故なのか。そして、加害司祭を未だに隠し続けている主教や常置委員がいる中で、このケアが可能であるとも思えない。そうした意味では、主教や常置委員をケアしながら、なおかつ加害司祭をケアしなければならないということになるが、信徒には重すぎる重荷かもしれない。

 最後に一つだけ苦言を呈したい。
 沖縄をはじめ日本本土にはかなり多くの米軍施設があり、それぞれに活動をしている。そうした米軍の駐留そのものに反対している聖公会の司祭で、自分の車や教会の車にカーナビを装備しているのはいないだろうな。インターネットで調べればすぐに判ることだが、カーナビはアメリカの軍事衛星を利用している。アメリカの軍事衛星がなければ、カーナビはまったく動作しない。そして、重大なことは、米軍だけではなく、様々な国の軍隊がこのGPSシステムを軍事に利用している。深夜に無灯火で戦車が砂漠を移動出来るのはこのシステムがあるからだ。トマホークという巡航ミサイルの命中精度が驚異的に高いのもこの軍事衛星のおかげだ。そして、民間の飛行機もこのシステムを利用して位置確認を行っている。自分のことには軍事衛星の恩恵を受けていながら、アメリカ軍の駐留には反対するという矛盾を、日本聖公会はどう考えているのか。「外国へ仕事で行かなければならないから、仕方なく飛行機に乗っている」という理由はおかしくないだろうか。

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