ビラの配布に関して


 ビラを配布した後で、あの「卒園生の母親」と自称する方から抗議の電話があったそうだが、それ以外にも電話が掛かってきているそうだ。そもそも、ビラに携帯電話の電話番号が記してあること自体、強烈なインパクトがあるだろう。一般的な街頭宣伝ビラには、携帯番号はおろか、電話番号も記されていない。つまり、あのビラに書かれていることは、間違いなく事実だということを、あの携帯番号が保証していることになる。そして、あのビラを受け取った方々の中には、アエラという雑誌に載っていた記事を読んでいらっしゃる方々もいるだろう。

 一般社会では信じられないような対応しかしていない日本聖公会京都教区に対する不信感と同時に、キリスト教会全体が同じようなことをしていると思われてしまっていることもあるだろう。あのアエラには日本キリスト教団と日本ホーリネス教団の性的虐待事件が載っていた。どちらの牧師も牧師であり続けているし、特に日本キリスト教団の場合は、当該教会の牧師をし続けている。また、どちら教団も女性の人権をまったく無視し続けてきた経緯がある。(日本ホーリネス教団は、教団幹部が被害者のお母様の所へ謝罪に行ったそうだが、それも何年かしてからのことだという。

 そうした流れの中で、日本聖公会京都教区場合は極めて異常である。他の二つの事案と比べた場合、重大な相異がそこには存在している。一つは、被害者が未成年、しかも小学校4年生から高校3年生までの機関、H司祭から性的虐待を受け続けていたということだ。このことは、高等裁判所がその判決の中で事実として認定している。判決文の中に次のように記されていると、鞍馬天狗の閲覧メモに記されている。「控訴人の被った精神的苦痛はまことに甚大。控訴人の請求する500万円をもって相当と認める。」「以上の次第で、控訴人の請求は全部理由があるから、これを棄却した原判決は取り消しを免れず、本件控訴には理由がある。」つまり、控訴人(被害者)が訴えていたH司祭の性的虐待行為は、間違いなくすべて事実であり、控訴人が請求している慰謝料の全額を支払えという判決なのだ。

 控訴人の主張は、小学校4年生から高校3年生までの期間に、H司祭から性的虐待行為を受けていたということであった。このうち、高校1年生から高校3年生までの期間、H司祭は日本聖公会京都教区S教会の牧師であり、学校法人S幼稚園の理事長兼園長だった。にもかかわらず、現在の理事長であるM司祭は、退職金返還要求をするともしないとも決定しないという、実に無責任なことをしている。詳しい状況は<祈りの有無>というブログに記されているが、「S教会時代のH司祭は、被害者に性的虐待はしていない」というのが理由であるが(「糾す会」との面会時の発言記録にあり)、高等裁判所はS教会時代にも性的虐待が行われていることを認めているのである。そして、最高裁判所の上告却下によって確定した高等裁判所の判決を、日本聖公会京都教区のK主教と常置委員会は認めたからこそ、あの「謝罪の記者会見」を開いたことは、彼ら自身の声明文に明らかなところだ。日本聖公会京都教区が、H司祭の性的虐待事案を隠蔽し続けているというのは、こうした一連の行為を言うのであって、漠然としたことを主張しているのではない。

 <祈りの有無>というブログには、「各戸配布から駅頭配布へ」という言葉が使われて、京都市内のかなりの数の駅名が記されているが、読んでいて驚いた。H司祭の秘密のアジトから一番近い駅の名前が記されていた。どの駅名かは言えないが、間違いなくその駅が一番近いはずだ。H司祭がした行為が、児童に対する性的虐待であるだけに、付近の幼稚園や小学校は気になるだろう。夕方、駅頭でビラを配布していたらH司祭を見かけることがあるかもしれない。何をされるか判らないから、十分に気を付けた方がいい。新撰組は日本聖公会の関係者ではないから難しいだろう。

 他の二件との相違点の二つ目は、日本聖公会京都教区がH司祭を擁護してしまっていることだ。H司祭が今どこに住んでいるのかを知っているのは、日本聖公会京都教区の聖職者の間でもごく一部の人々だろう。あのアエラの記事を書いた人が間違いなくH司祭本人に会っていることは、あの記事の内容がそれを示している。おそらく、どこかからそれが漏れたのであろうが、少なくともあの記事からするとH司祭はいまだに「事実無根」を主張しているように思える。

 相当数の児童に対して性的虐待行為をしていた人物を隠し続けている日本聖公会京都教区には、それなりの重大な責任があるが、日本聖公会京都教区のK主教はそれを認識しているだろうか。いままでに何回、K主教はH司祭に面談しただろうか。絶対に起こってはならないことなのだが、万が一、H司祭が同じ過ちをしたら、日本聖公会京都教区はそれ相応の責任を負わなければならなくなくなるだろう。そうした心配をK主教は感じているだろうか。あのビラを読んだ人々の多くは、日本聖公会京都教区の責任者達や、日本聖公会の上層部が何もしないことに対して、激しい憤りを感じているだろう。しかし、その激しさにK主教らが気が付くことは、途轍もなく難しいことかもしれない。何しろH司祭はいまだにK主教を「K君」と呼んでいるそうだから。

Comment

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)