日本聖公会京都教区の重大な問題性


 日本聖公会京都教区で起こったH司祭に対する退職金支出問題は、京都市内でかなり有名になってしまったようだ。拙者も、教会とはまったく関係ないところで、それを耳にした。当然だろう。H司祭に対する高等裁判所の判決は確定している。それも、長期間にわたる18歳未満の女子に対する性的虐待行為に対する、慰謝料請求裁判の判決だ。それも、高等裁判所が事実として認定している被害者の申し立てに寄れば、常識では考えられないことを小学生から高校生に至るまでの期間の女子にしていたのである。しかも、その被害者の申し立て(訴状)に記されている被害手記は、常人がそれを見たらその異常さに気が遠くなるほどのものなのだが、日本聖公会京都教区のK主教やM司祭は一度もそれを閲覧してこなかった。そして、謝罪の記者会見を開いておきながら、S幼稚園から支給された700万という金額の退職金の返還要求をしてこなかった。

 あまりにもお粗末としか言いようがない。
 H司祭から性的虐待行為を受け続けてきたという理由で、H司祭に対して慰謝料請求裁判が提訴されたのは、2001年だった。この時には既に被害者は成人していた。提訴の理由は、一旦H司祭の退職を決定していながら、H司祭自身の「事実無根」と言う主張だけを根拠に、日本聖公会京都教区がH司祭を復職させてしまったからであることは、被害者関係者の正式な代理人のホームページや「糾す会」のホームページで明らかにされている。そして、2005年7月19日の最高裁判所の上告却下の決定が下され、高等裁判所の判決が確定しても、最高裁判所京都教区は「冤罪」という言葉を用い、H司祭を擁護し続けていた。そして、12月9日になって日本聖公会京都教区は謝罪の記者会見を開き、H司祭の性的虐待行為を認めた。がしかし、ここに極めて重大な問題が隠れていた。裁判を提訴した被害者以外に4人の被害者が、被害を申し立てたことによって、日本聖公会京都教区は初めてH司祭の性的虐待行為を認めているということである。彼らは何故、高等裁判所の判決が確定した時すぐにH司祭による性的虐待行為を事実と認定しなかったのか。他に4人の被害者が申し立てを行って初めてそれを認めたのか。ここに重大な過失があることは、人権という視点からこの問題を考えれば、実に明白な人権の侵害であると言わざるを得ない。

 それだけではない。裁判を提訴した女性と新聞記事などを読んで被害の申し立てをした4人の被害者以外に、去年になってもう一人の方が被害を申し立てられたが、これら6人の被害者のうち、4人に対する性的虐待行為をH司祭は認めたのだが、裁判を提訴した女性ともう一人の方に対しては、いまだに「事実無根」を主張している。そして、日本聖公会京都教区はH司祭によるこの重大な忌避に関して、それを重大な問題として考えていないところに、拙者は大きな問題を感じざるを得ないのである。H司祭が何故、このお二人の方に対する性的虐待行為を認めないのかということに関して、日本聖公会京都教区はその問題性を見抜けていないからなのか、いまだに調査しているという話を耳にしていない。昨年の教区会で、この一連の動きに関する報告が日本聖公会京都教区常置委員会とK主教の名前で二通出されているが、あれから既に半年を経過しようとしている。誰が考えても、H司祭と日本聖公会京都教区のこの動きは異様にしか見えない。H司祭が謝罪しない理由が「裁判を提訴したから」ということであれば、H司祭が謝罪していない被害者がもう一人いらっしゃるということを理解することが出来ない。

 H司祭は勿論、日本聖公会京都教区からもこの疑問を解決できる言動を引き出すことは難しいかもしれない。しかし、H司祭が謝罪文書を認めたという4人の被害者と、いまだにH司祭が「事実無根」を貫いている2人の被害者の間に、どのような差があるのかを日本聖公会京都教区は明らかにすべく、徹底的に調査し、それを明らかにすべきである。そして、この4人と2人の間にある差に関して、日本聖公会京都教区が既に知っていたとすれば、H司祭が4人に対する性的虐待行為を認めたという現実を考えれば、日本聖公会京都教区は途轍もなく大きな過ちを犯していると言わざるを得ない。所用のため、10時の新幹線で上京するが、所用の合間に、この点に関して鞍馬天狗と面会して話をすることにしている。彼奴も所用で上京することになっている。そう言えば、最近、彼奴の携帯に発信者番号非通知の電話が時々入っているそうだが、彼奴の携帯電話の番号は、地元の人以外にはほとんど知らせていないらしい。携帯のメールアドレスを知っている人は3人しかいないそうだ。このことに最初に気が付いたのは天狗だった。天狗は、あの去年の11月3日の常置委員会特別報告や主教文書を読んですぐに気が付いたらしい。彼奴は、日本聖公会のことを拙者以上によく知っている。(拙者の予定を知って、日本聖公会の司祭達が、「こいつは聖餐式に出ていない」と言うかもしれないが、拙者は既に早朝の御ミサにあずかっている)

日本聖公会という宗教集団


 先日、ある方から恐ろしい話を聞いた。その方も、とあるジャーナリストから話を聞いたらしいのだが、日本聖公会と言う宗教集団は、いままでにも様々な事柄で、異様なことをしてきた宗教集団だとジャーナリストの間では考えられているらしいという。沖縄教区での不明瞭な土地売買に関すること以前にも、使途不明金の問題や、聖職者の異様な行動が知れ渡っていたという。事実、S幼稚園の会計はS教会の会計と一体化していたと、S幼稚園の現在の理事長兼園長が公言しているそうだが、こうしたことはいままでの日本聖公会の教会の中では当たり前のことだったらしい。学校法人の会計と宗教法人の会計が一体化していることなど、常識では考えられないのだが、その常識が日本聖公会にはまったく通じないのだという。

 しかしそのようなことがあっていいのだろうか。
 財務省はどう考えているのだろう。ことに、主教や司祭の収入に関して、財務省はきちんとした調査をしているのだろうか。彼らは、教会や幼稚園からの謝儀以外にも収入があるのだが、それをきちんと確定申告しているのだろうか。一定額の収入がありながら、それを申告していなければ、明らかにそれは脱税行為に当たる。教会や幼稚園などの二ヶ所以上から給与受けていれば、確定申告をしなければならないし、結婚式や葬儀などで謝儀を受け取れば、それも一定の金額以上になれば申告義務がある。教区によっては、各教会の牧師をしている司祭に対する謝儀は教区が支給しているのだが、この場合は源泉徴収が為されている。しかし、この謝儀以外に収入があれば、確定申告しなければならないのだが、そうした教区の主教や司祭達はきちんとそれをしているのだろうか。

 あるいは、教会が所有していることになっている車の経費だが、司祭がプライベートに使っている分に対して、司祭自身が車の経費の一部を負担していなければ、それも給与と見なされることを知っているだろうか。財務省は、神社や寺院に対してはかなり厳しく調査しているようだが、教会に関しても同じように厳しく調査すべきだろう。でなければ、明らかに憲法に抵触していることになる。日本聖公会には、「護憲」を唱えている司祭が大勢いるが、彼らはこうした税法上のことをきちんと守っているのだろうか。教会が脱税の巣窟になっていなければいいのだが、宗教者が謝礼として受け取った金銭に関しては、必ず領収書を発行すべきだという意見も強く出ていると聞いている。日本聖公会のような宗教教団が続出してくることを考えると、まじめに確定申告し、まじめに贈与を申告しているキリスト教の聖職者や、神社の神職の方々、あるいは寺院の僧侶に対して極めて失礼なことをしているとしか言いようがない。

 日本聖公会の汚点が一気に噴出してきそうな気配があるが、迷惑するのは関連団体、特に社会福祉法人や学校法人だろう。それだけではない。京都教区のいくつかの教会の牧師は非常に豊かな生活を満喫しているそうだが、地方の小さな教会の牧師は、かなり苦労していると聞いている。こうした格差が何故起こるのか。主教制の教会であれば、何故、全体として一定の基準を設けようとしないのか。戦前の主教制・監督制の教会ではこうしたことは当たり前のことだったらしい。そして現在でも地域格差が激しいと聞いている。こうしたことが、宣教の業にどれだけマイナスになっているか、気が付いていながら、都市部の「大」教会は目を瞑り続けていないだろうか。フェミニズムから自らの身を守るために、女性司祭按手を行ってしまった日本聖公会にこうした論理が通じるとは思えないが、しかし、多くの他教派の聖職がこのブログを読んでいて下さるようなので、あえてここに記すことにした。「神が女性の牧師を求めておられる」という神学的視点から、女性の牧師を按手している教派とはまったく異なって、十分な神学的研鑽が行われないまま、女性司祭按手が罷り通ってしまった日本聖公会は、神学的にも破綻しているのかもしれない。

ビラの配布に関して


 ビラを配布した後で、あの「卒園生の母親」と自称する方から抗議の電話があったそうだが、それ以外にも電話が掛かってきているそうだ。そもそも、ビラに携帯電話の電話番号が記してあること自体、強烈なインパクトがあるだろう。一般的な街頭宣伝ビラには、携帯番号はおろか、電話番号も記されていない。つまり、あのビラに書かれていることは、間違いなく事実だということを、あの携帯番号が保証していることになる。そして、あのビラを受け取った方々の中には、アエラという雑誌に載っていた記事を読んでいらっしゃる方々もいるだろう。

 一般社会では信じられないような対応しかしていない日本聖公会京都教区に対する不信感と同時に、キリスト教会全体が同じようなことをしていると思われてしまっていることもあるだろう。あのアエラには日本キリスト教団と日本ホーリネス教団の性的虐待事件が載っていた。どちらの牧師も牧師であり続けているし、特に日本キリスト教団の場合は、当該教会の牧師をし続けている。また、どちら教団も女性の人権をまったく無視し続けてきた経緯がある。(日本ホーリネス教団は、教団幹部が被害者のお母様の所へ謝罪に行ったそうだが、それも何年かしてからのことだという。

 そうした流れの中で、日本聖公会京都教区場合は極めて異常である。他の二つの事案と比べた場合、重大な相異がそこには存在している。一つは、被害者が未成年、しかも小学校4年生から高校3年生までの機関、H司祭から性的虐待を受け続けていたということだ。このことは、高等裁判所がその判決の中で事実として認定している。判決文の中に次のように記されていると、鞍馬天狗の閲覧メモに記されている。「控訴人の被った精神的苦痛はまことに甚大。控訴人の請求する500万円をもって相当と認める。」「以上の次第で、控訴人の請求は全部理由があるから、これを棄却した原判決は取り消しを免れず、本件控訴には理由がある。」つまり、控訴人(被害者)が訴えていたH司祭の性的虐待行為は、間違いなくすべて事実であり、控訴人が請求している慰謝料の全額を支払えという判決なのだ。

 控訴人の主張は、小学校4年生から高校3年生までの期間に、H司祭から性的虐待行為を受けていたということであった。このうち、高校1年生から高校3年生までの期間、H司祭は日本聖公会京都教区S教会の牧師であり、学校法人S幼稚園の理事長兼園長だった。にもかかわらず、現在の理事長であるM司祭は、退職金返還要求をするともしないとも決定しないという、実に無責任なことをしている。詳しい状況は<祈りの有無>というブログに記されているが、「S教会時代のH司祭は、被害者に性的虐待はしていない」というのが理由であるが(「糾す会」との面会時の発言記録にあり)、高等裁判所はS教会時代にも性的虐待が行われていることを認めているのである。そして、最高裁判所の上告却下によって確定した高等裁判所の判決を、日本聖公会京都教区のK主教と常置委員会は認めたからこそ、あの「謝罪の記者会見」を開いたことは、彼ら自身の声明文に明らかなところだ。日本聖公会京都教区が、H司祭の性的虐待事案を隠蔽し続けているというのは、こうした一連の行為を言うのであって、漠然としたことを主張しているのではない。

 <祈りの有無>というブログには、「各戸配布から駅頭配布へ」という言葉が使われて、京都市内のかなりの数の駅名が記されているが、読んでいて驚いた。H司祭の秘密のアジトから一番近い駅の名前が記されていた。どの駅名かは言えないが、間違いなくその駅が一番近いはずだ。H司祭がした行為が、児童に対する性的虐待であるだけに、付近の幼稚園や小学校は気になるだろう。夕方、駅頭でビラを配布していたらH司祭を見かけることがあるかもしれない。何をされるか判らないから、十分に気を付けた方がいい。新撰組は日本聖公会の関係者ではないから難しいだろう。

 他の二件との相違点の二つ目は、日本聖公会京都教区がH司祭を擁護してしまっていることだ。H司祭が今どこに住んでいるのかを知っているのは、日本聖公会京都教区の聖職者の間でもごく一部の人々だろう。あのアエラの記事を書いた人が間違いなくH司祭本人に会っていることは、あの記事の内容がそれを示している。おそらく、どこかからそれが漏れたのであろうが、少なくともあの記事からするとH司祭はいまだに「事実無根」を主張しているように思える。

 相当数の児童に対して性的虐待行為をしていた人物を隠し続けている日本聖公会京都教区には、それなりの重大な責任があるが、日本聖公会京都教区のK主教はそれを認識しているだろうか。いままでに何回、K主教はH司祭に面談しただろうか。絶対に起こってはならないことなのだが、万が一、H司祭が同じ過ちをしたら、日本聖公会京都教区はそれ相応の責任を負わなければならなくなくなるだろう。そうした心配をK主教は感じているだろうか。あのビラを読んだ人々の多くは、日本聖公会京都教区の責任者達や、日本聖公会の上層部が何もしないことに対して、激しい憤りを感じているだろう。しかし、その激しさにK主教らが気が付くことは、途轍もなく難しいことかもしれない。何しろH司祭はいまだにK主教を「K君」と呼んでいるそうだから。